闇を見つめてみる

コロナウイルス

はじめに、このたびの新型コロナウィルスに罹患された皆様と、感染拡大により生活に影響を受けられている地域の皆様に、心よりお見舞いを申し上げますとともに医療前線でご活躍されている皆様に感謝申し上げます。又、ご家族やご友人にご不幸がございました方々に心よりお悔やみ申し上げます。

本当に久しぶりの更新です。あっという間に3月になってしまいました。本当だったら今頃もうニューヨークに帰っているはずだったのですが、諸々の事情でニューヨークに帰るのを延期しました。4月10日ごろには帰れるかどうか、、、

恐怖という鏡

コロナウイルスは中国の武漢から始まったといわれていますが、そのウイルスは韓国や日本などに拡大し、アメリカ国務省は2月下旬に日本の渡航警戒レベルを2に引き上げ、アメリカ入国への規制や世間の目も厳しくなりました。その頃ニューヨークに帰る予定があった私も、アメリカ入国後の自宅待機要請や市民からの差別を受ける可能性などといった理由から渡航を延期し、日本から様子を見ていました。

その後コロナウイルスはアメリカで大流行し、ニューヨークだけでも感染者が1万人を超えるのは時間の問題と言われるほどになりました。国務省のアメリカの警戒は最高レベルの4にまでひきあげられ、アメリカ国民は恐怖に陥りパニックに。残念なことにその恐怖が引き金となってアメリカ国内では渡航歴に関係無く中国人へは勿論、日本人などアジア人全般への差別があからさまになるなどウイルス問題以外にも波紋がおこりました。

このパニックが起こる中、人に優しくできているでしょうか?それとも自分を守るために人を攻撃してしまっているでしょうか?恐怖という感情が鏡となり、普段は隠されていた心の性質が映し出されます。貴方の恐怖の鏡には何が映っていますか?恐怖の鏡の中の闇を見つめてみましょう。自分の闇の存在を確認し、認識することはシンプルですが大変難しく、そしてとても大切なことです。

怖がってもいいと思う。

自分の闇を見つめてみる、というと、なんとなく恐ろしい気がしますが、自分の中の闇、又恐怖というのは結局、知らないことへの不安感に強く結びついています。生きていれば、知らないことがあって当然で、そうすると怖いことがあっても当然なのです。

ここで、一般的な考え方とは反するようにも聞こえるかもしれませんが、わたしは怖がってもいいと思っています。私達はやってはいけないことに関する教育を重々受けて育つことが多く、もちろんそれを習う事は大切なことなのですが、怖がってはいけない、怖いと思うことはいけないことなのだ、と言う価値観が優勢になりすぎると、その感情を威圧や虚勢で隠そうすることがあります。第一、自分自身は本当は怖いのに怖くないと言い聞かせることによって自分を見失ってしまい、怖いという感情が現れた時に圧倒されすぎて、受け止めることができず、理由もうまく説明できないまま昂ぶった怒りの感情を露わにする、俗にいうキレるという行動をとったりしてしまうのです。

もし『キレそう』になったら、その根底に恐怖がないか考えてみてください。闇を見つめてみるのです。怖いと思ったら、その感情を受け止めてみてください。そして怖くて当然だと思ってください。大切なのはその上で冷静に暴走しそうな感情を処理することができ、行動できるかどうかです。

貴方は私、私は貴方という考え方

とても倫理的になってきてしまいますが。貴方は私、という考え方についてどう思うでしょうか?1月の時点でコロナウイルスは中国における問題のように報道されていました。2月になり、そのウイルス問題は韓国や日本、アジアに拡大され、その後イタリアやイランなどに広がっていきました。アメリカ国内では海外渡航歴がある人々に自宅待機の要請を出すなど、緊張が高まり、かくいう私もその厳しい目に日本からアメリカに入国するのを躊躇してしまうほどでした。

しかしその後、3月に入るとヨーロッパでは国境閉鎖が各国で進むほどにウイルスが流行し、アメリカでも、特にニューヨークでは状況が悪化しコロナウイルスは中国やアジアの問題ではなく、私たちみんなが直視して考えなければいけない問題であることを認めざるを得ない状況になりました。ここで主観ですが、今回のウイルスだけではなく、世界で起こっている問題は本当は全て他人事ではなく、自分自身の問題でもありえるのではないでしょうか?人ごとという考え方では無く、自分のことのように問題と向き合うという姿勢が大切な時代だと思います。

コロナウイルス問題勃発当初は差別的な態度で身を守ろうとしていた人も多くいました。自分の安全は確保しないと!という危機感からか隣人同士でも食べ物やトイレットペーパーを巡って争ったりしている動画なども見受けられました。大量に仕入れたトイレットペーパーはもちろん自分の家庭のためだと思いますが、自分の家族や愛する人たちが相手であったらトイレットペーパーをめぐって争うという対応をしていたでしょうか。自分のことのように人のことも労わることで非常事態の深刻さは和らぐとおもいます。最近はこの世界規模の非常事態の中、相互扶助の考え方が広まってきているように思え、差別の無い未来に繋がればと希望を持たずにいられません。

完璧ではない完璧をみつける

今回のこのウイルスのパンデミックを通して、もう一つ考えさせられたことがあります。それは人間の心の持ち方についてです。心の持ち方一つで、人生の受け取り方は大きく変わります。コップの水理論でおなじみのようにコップに水が半分いっぱいになっていると思うか、半分からっぽになっていると思うかで人生を前向きに生きるか、後ろ向きに生きるか大きく分かれます。もちろん問題意識を持つことも大切です。しかし、成す術がない状態で、できないことを悲しむより、できることを楽めたほうが人生は素敵です。完璧ではない完璧を見つける、そんな感じです。

私の今の生活は少し前の生活と全く違います。ここで以前と同じライフスタイルを求めるというのは、まずは無理があるし、何よりも自分を苦しめます。そこで私は今の生活でこそ得られる、そして色々なところに行かなくてもできることに幸せを見つけることにしました。例えば日本にいる間滞在している家にはピアノがあります。そういえば子供の頃ピアノを習っていたのを思い出して本当に久しぶりにピアノに触ってみたり、オンラインでピアノレッスンを見てみたりしてワクワクしています。先月にも書きましたがまさに逆境を楽しむ遊び心がこの非常事態の希望になっているように思います。あまり出歩けない間、今までできなかったことに取り組み、感謝の心と慈しみの心で自分と周りに接していけたらと思います。人生には素敵なことが沢山です。大変な時ですがお互いを助けあって過ごせることを願っています。皆様の安全と健康、幸せを心より願っております。